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昨日の日曜日 仕事関係で鹽竈神社に行ってきました 10人ほどで昇殿してお祓い 毎年の恒例行事 こう言うのを講と言うのだそうですが 我々の「講」は 鹽竈神社の記録によると 始まりは1623年(元和9年)だそうで 記録に残っている講のうちでは最古のものなのだそうです 毎年決まって5月11日 385年続いていることに あと15年で400回記念と言うことになるんですね 鹽竈神社の御祭神は 主祭神である鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ) この神様は塩造りの神様 庶民的な神様 そして 唐門の正面はの左右宮には 左宮に鹿島神社の祭神でもある武甕槌神(たけみかづちのかみ) 右宮に香取神宮の祭神でもある経津主神(ふつぬしのかみ)お祭りしています この左右宮は権力者に崇められた武神 庶民的な神様と権力者の神様 そして同じ境内には志波彦神社 これが鹽竈神社の御祭神 縁起については鹽竈神社のホームページより抜粋 以下抜粋 【歴史】 志波彦神社は志波彦大神をお祀りしております。あまり馴染みのない御神名ですが、『延喜式』の神名帳に記載されている3132座の中でもわずか224ヶ所しかない「明神大社」と言う最高の崇敬を朝廷より受けていた神社です。 元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座しておりましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営の事が検討され、明治7年12月5日この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社境内に社殿を造営する旨が奏上されました。 大正11年当時の山下宮司が政府に造営の陳情をしたが、翌年の震災復興にて効を奏せず、次代古川左京宮司が時の政府に強く訴えかけてようやく昭和9年に着手、明治・大正・昭和の神社建築の粋を集め昭和13年に完成したのが現社殿です。社殿地には当時は鹽竈神社の2階建て社務所が建っておりましたが現在の場所に降ろし、その場所に志波彦神社を建立しております。 鹽竈神社とは趣を別にし、本殿は黒漆塗り・拝殿は朱漆塗りの極彩色社殿となっております。又全額国費を以て造られた最後の神社とも言われております。 御祭神の謎 記紀を始め各書にも神話伝承の見えない志波彦大神とは如何なる神様なのでしょうか。 そのヒントが御神名であり志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、仙台市内に志和町、栗原郡志波姫町に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社とシワの名を持つ所が点在します。これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼んだものと考えられますが詳らかにはなっておりません。但し農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったのでしょう。 志波彦神社が鹽竈神社境内に遷された理由には、鹿島・香取両神宮の御祭神(鹽竈神社左右宮御祭神)の東北地方平定に協力された神と言われております。 神社ごとの由来を見ると いろいろ興味深いものがあります 鹽竈神社では 藤が満開 小高い神社から塩竃市内を見下ろした写真です |
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